お知らせ

この度は皆様にお知らせがあります。


私、光岡英稔は2025年11月1日をもって長年に渡って務めて来た日本韓氏意拳学会の会長及び、韓氏意拳の指導に携わることを辞任することになりました。


 辞任の理由としては、あくまで私個人の見解でしかないことを重々踏まえた上ですが、韓氏意拳が提示する拳、武の探究方法が、私が目指す「武」とはどうにも相容れないことに気づいたことがあります。


これについては、私の中国武術・韓氏意拳の師である韓競辰老師および父である故・韓星橋先師が持つ個人としての実力や指導力、人間性とは全く異なるところで生じており、韓家の星橋先師と競辰老師父子の武術的な実力や指導者としての類まれなる実力を十二分に踏まえた上での話となります。


昨年から韓老師には、「韓氏意拳の今のままの教伝方法では、稽古場や練習場所では上手く伸びやかに何かが出来ても、いざ実践時や何か窮地に立った時に戦えない指導者や学生ばかりになってしまう」と私の懸念を伝えていました。それに対しては「それは特に問題はない」と韓老師から返答があり、その時点で既に互いの武術的な価値観の違いがあったことが伺えます。


稽古や学習、練習の場では「做自己= 自ら己を做し、己を自ずと做し自分であること」や「自然に自分を表現する」「できるかどうか、どうなるか分からないけど動いてみる」「未知が大切で未知に対して動け」と言いつつ、いざと言う時には自らの言動や行動では何も表現できず何もできない者ばかりになっては「何のために稽古や修行、修練をしてるか判らない」と私には感じられ、武術に於いて大切なことが、本末転倒になっているように思えるのです。


教えでは未知が大切で重要と言うも結局は結果が保証されている既知の環境の中でしか行動や言動が取れない状態を人に作り出してしまう。そういった体系的な問題に気付かないまま、武や拳を扱うことは危ういことだと改めて気付かされ、今回の辞任に至る経緯は私に取っても貴重な学びの機会となりました。


 どれだけ稽古しようとも、修練を積もうとも私たちが相手にしているのは人間の業や性であり、体系を笠に着て、自分は乗り越えられていると思っても、実際の場面では出来ないといった所かと思います。無論、そのような観念の牢獄、概念、想念の牢獄を打ち破るために元来は稽古がある訳ですが、そこから更に感念の牢獄まで作り「自分が感じている想念、観念、概念が間違ってない」とまでなり、人間の業と性の問題は人間が気づかない内にも更に深まっているようです。


 ただ韓氏意拳、意拳は中国武術、拳術の中でも相当完成度が高い体系であり、まだ可能性は残されていると私は信じたいです。あとは、それを受け継ぐ人たちの手に全て委ねられています。


 私個人としては今後は「国際武学研究会」で主催している兵法・武学研究会にて引き続き武(武術、武芸、武道、拳術、拳法)と兵法の探究と指導を続けて行きます。


光岡英稔から武と兵法の本義本質を修得したい方、人間の探究を武を通じて行っていきたい方、人間の根幹的な業と性が持つ問題を何とかしたい方は私のところへお越しください。


2025年11月21日(金)

光岡 英稔