兵法・武学研究会の「兵法」について


人間は古代や古典の世界での地、海、空間の占有構造(領土構造)は場空間を時間先優先軸で捉え、それを争い奪い合う構造の中で生きてきた。

人類の大多数は未だにこの古代から古典の時代に形成された領域構造の感覚から抜け出せ切れてない。

兵法・武学研究会(略称:光岡武学、武学)においては身体の多層位性と重層性から発見された層位と、そこから更に同時空間における層位的世界の同時存在性から、この無数にある領域や次元、すなわち「層位」によって「どのレイヤーやディメンション、フィールドの層位」の発見性が存在する。

これにより「どの層位の話し」をしているかでそれを語る当人の現実性や真実、真理は変わって来る。

こうして無数の真実や真理、現実性が同時存在していることにより、またその領域、次元、層位に気づいて行ければ古代や古典的な地の占有構造(領土構造)は場空間を時間先優先軸で捉え方と、その領土感覚の奪い合い構造から脱出できるのだが、それには人間の四性を駆使する必要がある。また、そのための稽古学習も必要になってくる。

ただ、この新たな人類の経験である(まあ、古典の世界にもこれに気づいた人間は無数に居るが、経験を共有する術と業(わざ)がなかった故に一般化が出来なかったが…) 同時空間における身体の多層位性と、その多層位的世界の同時存在性から稽古を通じて経験されるレイヤーの存在は、稽古学習の段取りさえ上手く進めて行けば光岡武学においては具体的に経験/体験できるようになっている。

まずは、この経験/体験から入らなければ当人に取って何の真実味や現実味もないだろう。

このようなことが兵法・武学研究会(へいほう・ぶがくけんきゅうかい、略称:光岡武学、武学)では経験、稽古、学習されている。

よって、兵法・武学研究会(略称:光岡武学、武学)では何よりも経験的身体を通じて経験されていることの意味を非言語的に捉えて行きながら言語化、すなわち具現化して行くことを試みとしている。

以上が兵法・武学研究会/光岡武学の「兵法」の部分と関係してくる。

光岡 英稔